結婚して半年。
もうそろそろ、そんな話題が出てもおかしくない今日このごろ。
家族が増えることになったと妻から聞きました。
名前はモカ。
ティーカッププードルだそうです。
★インドネシア モハメッド・ナチール元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、
独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、
私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」
★インドネシア アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、
350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知な
スパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を
断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
★インドネシア ブン・トモ 元情報相
「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく
独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、
350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を
我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、
独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、
我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」
★インドネシア アリ・ムルトポ准将
「日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので
アジア人の誇りである。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら韓国が一番困ると思う。
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人の成功は
容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と
考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、
アジア・アフリカにつくしていると考えている。
だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている」
★インドネシア サンパス元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人
約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、
独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、
功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
★マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで
将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の
国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
★マレーシア マハティール首相
「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術と
エネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の
建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、
かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。(中略)
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚く
ような成功をとげた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることは
なくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際に
それを証明してみせた。もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈して
いただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しく
なっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を
支配したことだろう。」 (欧州・東アジア経済フォーラム 1992年10月14日)